戻る山の気象(2014年3月29日)
 猪熊隆之氏




3/29日に兵庫労山主催の安全講習会がありました。
やまてん事、猪熊さんの気象講座が開かれました。
話は分かりやすく時間はあっという間に過ぎてしまいました。

いろいろな事例を挙げ、山を知っているからこその細やかな解説に納得しました。

特に2006年の白馬事故は私も村営小屋に泊まっていて、なぜ台風が過ぎ去ったその後に天気が崩れたのか?
ずっと不思議に思っていました。
台風の性質が熱帯性なのか温帯性なのかで過ぎ去った後でも気をつけなければならないことも良くわかりました。

トムラウシの事故後一週間あとにクワンナイ川遡行したことも懐かしく思い返すことが出来ました。

ゲリラ豪雨では六甲の事故例を上げられました(知り合いが巻き込まれ私も現場にいた)

事例は私にとって身近のもので興味深く聞くことが出来ました。
 白馬岳遭難事故2006年10月8日

10/8白馬岳頂上宿舎

宿舎から


紅葉の時期、私は大雪渓から白馬、雪倉、朝日岳へと抜けるコースの途中にいました。
台風が過ぎ去り台風一過となり素晴らしい景色を見られるはずでした。

しかし・・・
九州のツアー会社のグループ7人の内4人が凍死で亡くなりました。
彼らは祖母谷から清水ヶ岳を通って白馬岳の予定でした。


小屋からの救助、生存者の手当、宿泊者(18名)の行動など、いろいろなことを見聞きし体験しました。
私が山の会に入ったのもこれがきっかけです。
山は怖い、基本を身につけなければと思いました。


 遺体引き上げ

宿舎から遺体を運ぶ

姉妹の遺体引き上げ中

二人の救助隊

吹きだまりには3mの雪が
丸二日吹雪いた後、素晴らしい天気です。
エビの尻尾もヘリも美しく輝いていました。


18名の宿泊者

雷鳥はどうして?

下では紅葉が真っ盛り
 鹿島槍ヶ岳落雷事故(2011年4月28日)

冷池山荘で

鹿島槍ヶ岳へ

剱方面

剱の上にはレンズ雲
春の連休、私達は冷池山荘をベースに鹿島槍を目指しました。
南岸低気圧があるものの日本からは遠く離れていました。

風はなく日も差し穏やかな天気でした、
が、何か気持ちが悪かったのを覚えています。
高く雲は被さっていました。

剱、立山にはレンズ雲が乗っていました、柔らかく、穏やかに掛かっていました。

立山の上にもレンズ雲

不気味な空気の中

横殴りの雹

氷の型枠
2時間後、鹿島槍ヶ岳頂上で急激な天気の変化となりました、横殴りの雹、写真に写っています。
前が見えず立ってられないほどの風、小屋に戻った時、ザックには氷の被覆が付いていました。
たぶん遭難する時は、このような急激な変化について行けなかった時に起こるのだと思います。

天気が落ち着いたと判断し2時間後、小屋を出発、
しかし、地獄が、
冷池小屋と爺ヶ岳との中間で雷が鳴ってきました。
剱の方を見ると目線より下に稲光が見えます。
20分ごとに光ります、15分歩き頭を伏せる、その繰り返しでした。


やっと爺ヶ岳に着いたその瞬間、脳天に電気が・・・
ガクッと膝が折れ、後から上がってきた仲間に、
「ヘルメット、穴あいてへん?」
軽く電気が落ちたようです。

同じ頃、鹿島槍で西宮の方が落雷で亡くなられたとのことでした。



白馬、鹿島槍での経験を踏まえ、気象の気も興味なかった私ですが今は少し気にするようになりました。